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ちょっと寄り道編・・・その2・・・なぜ彫刻か?(そのわけ①油絵「妹」)

07-10,2011




油絵「妹」
油絵「妹」1970





高3の時 美術クラブで 8歳下の妹を描いた

受験前に描いた たった一枚の油絵・・・

後にも先にもコレ一枚・・・

この妹の絵が 私を 彫刻の道へ進ませることになった・・・

と私は思っている





高校の3年間 美術クラブに所属した

平日の放課後はもちろん 

夏休みも 冬休みもなく  ほとんど美術の教室に入り浸って

ひたすら 石膏デッサンに明け暮れていた

明るいうちの帰宅は稀だったし 女子高だったから 

文房具店以外のお店に入ることも無く ほとんど同じ日々、、、 

変化したのは 受験直前 木炭デッサンから 鉛筆デッサンに変わったことぐらい

よく飽きずにデッサンしていたなぁ・・・



当時 自転車通学で往復3時間  小さい山を3つ越えて通った

2年生からは 母の実家に居候して 往復2時間に短縮になった


当時は砂利道だったから 鬼怒川の砂利採掘ダンプカーが 砂埃をたてて通り過ぎると

セーラー服は 埃をかぶって うっすら白くなるし、、

雨で合羽を着ると プリーツスカートのひだは ゴワゴワ、、

寒いとまつ毛が吐く息で凍った、、


バスや電車もあったが自転車が気持ちよかった


自転車すれすれにダンプが通ると 風圧で吸い寄せられて 危なかったりしたが 

たまに早く帰ると 鬼怒川橋から見える富士山の夕焼けシルエットは黒く美しいラインだったし

360度視界の空に真綿雲はゆうゆう 泳いでいたし 

時に ひよこと親鶏の行列雲は 大空をまたいで圧巻だったり

口笛吹いたりしながら 楽しい自転車通学だった




たまに実家に帰ると小学生の妹の笑顔が まぶしかったのだろう、、、

初めての油絵が よりによって 大口開いて 白い歯を見せて笑う妹の顔、、、!!!

我ながら 何でコレを描いたのか 不思議だ、、



コレを描いてまもなく 

美術クラブ顧問の N先生が言った



「宇賀地 お前 彫刻 受けろ、、」

「えーーーっ、、 先生 私 彫刻っていっても  何にも 作ってないよ!、、」

「うん、 これ 作れ、、」

先生の差し出した掌には まっ黄色のレモンが 一個・・・ 



かくして 油粘土で レモン一個作って受けた受験は 不合格・・・

そのまんま 彫刻科を選択して 浪人が始まった




「先生!  何故あん時  先生は 彫刻受けろ・・・って言ったんですか・・・???」


後年思った疑問を 直接N先生にぶつける機会もないまんま N先生は逝ってしまわれた



で 単純に想像だが、、、


当時 受験合格ラインの油絵というと 

レンブラント風の 光と影の じっくり描き込まれた絵、、、が 主流だったように思う


ところが私のは  正反対、、、


N先生は 私は油絵には向いてないと判断、、

レモン一個となったのだろう、、



と、 後年 勝手に 思っている自分なのだが はたして N先生の本意やいかに・・・・??? 









通し番号36
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