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妹が逝ったこと

12-27,2014

書きたいのに書けない

何を書きたいのだろう

なんで書けないのだろう


ブログを開くと いきなり 広告が載ってるのが気になって 

記事を書いて 早く広告を消したい・・・

暮れの掃除も 料理も 控えてる・・・

マゴマゴしてたら 2015 になってしまうではないか!



タイムリミットだ    パソコンに向かって見た。



浮かぶのは 妹が亡くなったこと、、、


やはり これを書かずには先に進めないのだろう、、、



妹は 同じ人( 農家の長男さん)と2度結婚し 2度離婚した。

1度目は 幼い男の子を連れて離婚し 東京の我が家の近くへ越してきた。


その離婚の最後の話し合いに行ったのが  私だった。


妹には 婚家先で 叶えて欲しい希望があった。



しかし、    今でこそ普通になったが 

35年も前の時代に 親の口からはとても言えないような  とんでもない希望だったからだろう、、、

当時 パリに留学していた私の元に 妹から手紙が届いた。


「離婚したいのだけれど 誰も味方がいないから 洋子ちゃん帰ってきて味方になって。。。!」



今の私だったら 帰国しない。    断った。



しかし 当時の私は帰国

そして 妹の希望を伝えるべく 話し合いに行った。


( なんと 傲慢だったのだろう・・・)




妹が嫁いだ先は 大きな農家で 旦那様のご両親の上に  

更に おばあちゃんがいて 子供が生まれると 4世代家族になった。



妹の希望は断られ 離婚して 東京の我が家の近くへやって来た。

妹の希望とは 親世代とは 別に暮らしたいというものだった、、、



半年後に私はパリへ戻った。

義母や主人が 何かと妹の面倒を見てくれて 

当時 我が家に居候していた 末っこの妹(Tちゃん)も 一緒に暮らすようになり

アルバイトしながら 子育てしていた妹は いきいきとしていたという。


ところが、 再婚していた筈の 元旦那様と いつの間にか縒りを戻し、再スタートすることになった。


子はかすがい・・・元旦那様は 子供会いたさに 通ってきていたのだ


ささやかな祝いの席では 幼い長男が戻って 皆が安堵していたと思う、、


ところが 数年後 

妹は時々 家出するようになり、主人と私は その都度連絡を貰うと 心当たりを探した

1度目の離婚のときに住んでいたからだろう、、 大概は 我が家からそれほど遠くないところで見つけることが出来た。


そのうち、妹は腕の痛みを訴えるようになった。


苺を栽培していたから その疲れだろうと誰もが思っていた。

近くの病院から始まって遠くの病院まで 連れて行ったが

何所へ行っても治らず 心療内科へ行くように言われた。


腕が痛いのに何故心療内科なのか、、、当時は私も理解出来ずに 妹を乗せて病院を回った、

今なら 心のストレスが身体の痛みになっていたとわかるが、そんな知識すら当時はなかった、


(今なら ネットで すぐ調べられる。)


そうこうしているうちに ある日 妹はパニックになった。



そういうときの人間の力はものすごいものらしい、、

身体の大きい父と弟2人で抑えても抑えきれないくらいだったという。


世間を憚って 東京の精神病院へ入院した。


以来30年の間に 8度の入退院を繰り返し、後半は もう世間を憚ることもなく 田舎の病院のお世話にもなったが、


初めて病院に見舞いに行った時 私のお腹には長女がいた

0歳児の長女と主人と病院へ通い

そのうち  長男も連れて 通った。


衣類やら 食べ物やら 妹のリクエストするものを 持って見舞いに行くのが常だったが

チェックが入るから 持っていっても全ては渡せない

田舎から通って来る父母とも よく 病院の待合室で会った

当時は 治るものと誰もが思っていたから 悲壮感はなかった。


ところが

最初の退院の時、妹は自分の子供の待つ家に 帰ることが出来なかった。

普通の病ではないからと 退院したにもかかわらず 婚家先の 敷居を跨ぐことを許されなかったのだ。


妹は実家に戻り  2度目の離婚となった。

一度目は子供と2人だったが   二度目は1人だった 
 

実家は農家で後継ぎの弟が結婚し 子が生まれ 4世代家族で

そこへ 妹が戻ったのだから

それはそれは筆舌に尽くしがたい いろんな トラブルが 山ほど、、、

再発のきっかけは 日常の中に いっぱいあった、、、



時々発病する妹の存在は 誰にとっても言葉では現わせないものだったろうと思う、

 
8度の入退院の間には 何年も良好の時があり そういう時はよく我が家に泊まったりもしていたから

私は いつか よくなると  当時は無意識にも思っていた。



「レイキ」その他習って 妹にヒーリングしていた時期もあった。 

妹は退院して お店に勤めていた時もあったし

病院の経営するアパートで 彼と暮らしていたこともあって 私は何度も寄っていたし、泊まることもあり、

妹の「書の個展」を企画したこともあった。

それほど 良い時もあった。


小さい時から  書の賞をもらったりしていて 教える資格もあり

生まれて初めての個展で 妹の書は大変好評だったし

そして  売れた。

実際 妹の書は エネルギーに満ちて 感動するものがあるのだ!



その後 2人は別れてしまった、


1人暮らしをするようになった妹と久し振りで会ったときは 既に 兆候があったのかもしれない

強制入院になったという知らせをもらった。


数年後 病院で動けなくなった時は 癌の末期だった。

それが この夏だった。


春に 余命1週間と言われ 後に普通の病院へ転院し

宣告から 7か月 

妹は生きた。



最初の離婚後に  妹と一緒に住んでいた 末っ子の妹(Tちゃん)の献身的な行為で 一時は本当に元気になった。

彼女はあきらめなかったのだ。

彼女には これを飲めば治るかもしれない と思うものがあった、

それは 彼女が 自分の娘の皮膚疾患の為に  ネットで色々調べていた時に出会ったものだった。

Tちゃんは あきる野市から田舎まで1日がかりで病院と自宅を往復し それを 妹に飲ませた。

週に何日も通ったが 好転反応にびっくりした妹が 飲むのを拒否して そのまま帰ったこともあったという

でも彼女はあきらめなかった

その陰には Tちゃんの旦那様( I さん)の 強いバックアップがあった。

彼は 「お金も時間も気にしなくていいから 君の思うようにやってあげればいいよ」 と言ってくれたのだ。

そればかりか 休みのときは 自ら何時間も運転して病院へ通ってくれたり

普通では考えられないお世話をした2人だった。

余命1週間と言われた妹だったが 元気になって退院し

その後は 実家と Tちゃん宅で交互にお世話してもらっていたが

なかなか 安定までは いかなかった。


ある時私が Tちゃん宅を訪ねると 家中 猛烈な臭いだった

だのに 皆 普通に暮らしている。

妹を交えて Tちゃんも Tちゃんの旦那様(Iさん)も 大学生の一人娘も 平気な顔して 会話したり テレビ見たり 食事したり・・・・

そのうち 私も慣れてきたが  狭い トイレ空間に入った時は さすがに 一瞬息を止めた。


Iさんは 山仕事をしている

一度 斜面で仕事中に梯子が倒れて 手を複雑骨折したことがあるくらい危険な仕事だ。

だから  Tちゃんは  朝 旦那様を送り出すときは 

抱きしめて ハグして チューして 手を叩いて 合掌して 「愛してます」と声かけて送り出す。

私なんぞ とてもとても照れくさくて言えない、、、が 

危険な仕事だということを 十分承知しているからだろう

出勤前の大切な儀式だ。


急斜面もあるし  チェンソーも使うし

無事1日の仕事を終えるのに 朝のTちゃんの行為は 絶大な守りではないかと思う。

夫婦の鏡だな と思う。

そんな2人が二人三脚で 妹のおせわをしていた。


一時 元気になった妹は 近くのコンビニへ 日に一度 あるものを目当てに行くのが楽しみになった

一部 かなり急な坂を歩くから リハビリにもなるし

楽しんで通っていたという。

体調悪い時にも行きたがったので そんなときは I さんがお伴して 

時に おんぶして

普通なら往復30分のところ    往復3時間! 

彼は付き合ったという、

少し歩いては休み、、、 お目当てのものをゲットした妹は まるで子供のようだったとか、、


それほど 献身的に 妹を支えたにもかかわらず Tちゃんは 

「私の覚悟が足りなかったから 早く逝ってしまった、、、腹をくくるのが遅かった、、、」 と言って泣いた。


父母を残して逝くのは  早すぎると思うのだろう、、、

親より子が 先に逝くのは 確かに 早い


最期のとき 妹の横に居たのは 母と  妹の一人息子と  母の弟夫婦だった。
 

妹の顔はとってもいい顔をしていた  安らかだった。





告別式で 献杯のあいさつをすることになった私は

言葉に詰まって  出てきた言葉は 「ありがとう」と  「おめでとう」だった。

自分でもびっくりする言葉だった

告別式で言うべき言葉じゃないが 、口をついて でてきてしまった。


「妹の書の個展をした時の案内状は 「空」 という一文字でした。

妹の魂は 空に思いっきり自由に書を描けるようになりました」

と、挨拶してしまった。



亡くなったのが         11/9 日
妹の息子の誕生日が     11/8 日
母の誕生日が          1/19 日
告別式は             11/11 日

因みに 高倉健さんの命日が  11/10 日

忘れない日になった。

見事に 自分で 日にちを選んで 逝ったとしか思えない数字の並びに驚く。

人は 生まれる前に 自分の人生のシナリオを書いて生まれてくるというが

魂は その日を決めて来たのだろうと思う。


20代後半で発病し 以来8度の入退院を繰り返し 

でもその時その時 今から思えば 妹は 精一杯生きてきたと思う。


退院すると 良く我が家に遊びに来て 何日も泊まっては 私の子供たちのお守をしてくれた、

可愛がってくれた、

自分の一人息子を思ったことだろう、


機会があると 良く 学校へ行って 


外から 一人息子の野球チームでの姿を見ていたそうだ



その一人息子さんだが来年はお見合い予定が決まった。


妹が 49日過ぎて旅立つ前に お膳立てしてくれたのだろうか、、、などとふと思う。



お寺さんでの 49日の法要は 先日 日曜日に営んだが

妹の魂が 本当に逝ってしまうのは 法要でお経をあげてもらった時なのか、、、、

それとも 実際に数えて 49日目なのか、、、、

どちらなのだろう・・・???



長々書いてきたけれど とても書ききれない。。。 

まだまだ 書いてないことが いっぱいだ。

悲喜こもごも・・・たとえば  49日法要の後の  Tちゃん夫婦とUFO遭遇の話など、、

書きはじめたら切りがないので省略


で、  長々書いて    私は 何が言いたかったのか・・・



「家族」というそれぞれの舞台で いろんなことが起きて 人は体験してるんだなぁ、、、ということ


全くもって 当り前なんだけど


自分は1人だから家族はいませんって言っても  みんな母親はいて

父、母、本人の最低3人は家族だし 


(今生きてるかどうかに関係なく・・・家族の血が繋がってるかどうかにも関係なく・・・)


何が幸せかって 

家族と 身近な人と 仲良しなのが 幸せ・・・なんじゃないかな、、、


あまりにも当たり前すぎて わざわざ書くようなことじゃないけど

妹は 最後に 実家とTちゃんのところで 家族として暮らして
 

だから 最後の顔はあんなにいい顔だったんだ、、良かったな~って

あらためて 実家とTちゃん家族にはありがとうだなぁ~って


先日訪ねた時も 妹の話になって 

妹はTちゃんに

「私は 他力本願だもん・・・」って言ったんだそうな、、

それを聞いていた  I さんは 本気で怒ったそうな、、


癌がわかってからというもの 彼は妹に

「本気で生きて欲しいと思っているのは Tちゃんだけなんだよ  」  と言っていたし

彼は 妹に 本音で接していた。


ある時 Tちゃんが 

「洋子ちゃん Sちゃん(妹)があの時言ってた 他力本願の意味がわかったよ、、、」と言った。


「逝く日にちは決まっていたかもしれないけれど Sちゃんは 逝く年は決めてなかったと思う、、、

私の 覚悟が 足りなかったから Sちゃんは 早めに逝くことを決めたんだと思う、、、

私の覚悟が出来ていれば もっと生きていたはず、、、、ごめんねってあやまってるんだ、、 」と言って  泣いた。

そして

 「Sちゃん これから 私は いい人になるからね、、って 誓ったんだ   、、、」 と言って泣いた。


妹の死は 家族の夫々に 何かを残して逝った。



「家族」とは 最小単位でありながら

なんと 小さな  

なんと 大きな  

舞台なのだろう・・・!!




無意識にも 二十歳そこそこで 母子像を彫り始めた私、、、

家族という 地球の最小単位(個人の次に)の大切さに

あらためて気づかされます。

私が 家族を、、母子像を、、いつからか 仏様も加わって、、 

彫り続けているのには 意味があるのかなぁ~~と思いつつ

 

自分自身へ

Tちゃん夫婦を見習って 一番身近な人を 大切に!

言うは易く 行うは難し・・・を乗り越えねばね、、、





まったくもって プライベートな記事を こんなことを こんなところに 書いていいものやら・・・どうなのやら・・・?

しかし ここを 通らないと 次へ行けないみたいで・・・

文字に出来ないことも まだ多々あるが 文字にしてみた。




2014  ・・・・  転機なのだろう。


2015   ・・・・再スタート


データを見ると

こんなブログでも読んでくださってる人たちがいるんだなぁ~と思って

あらためて ありがとうございます!!!。

感謝にて。。。 


因みに 妹の 守り本尊は 「大日如来」

なんと!  数か月前から 今 彫っているのが 「大日如来」

                               (120センチ)(四苦八苦している)


そして  たった今!!  これを書いてる最中に  注文をいただいたのが  ナント!  「大日如来」



いったい これは どういうことだろう・・・!!!???



 あぁ~~~~!!!ありがとう~~~!!!



明日が 妹の 数字の上での  49日である。


ありがとう!

そして 

おめでとう!









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COMMENT

『温雅閑清信女』

歩けなくなると
毎日
歩けていた頃が
とても
有り難く思えるよ…

予報では
雨だと言っていたのに
見事な快晴だったね
きっと
晴れ晴れとした
気持ちで
旅立っていったんだね
喧嘩した後も
あなたはいつも
さっぱりと
許してくれた人でした

大人達は
悲しみに暮れていたけれど
子供達は
手をつないでくれたり
元気一杯の笑顔を
見せてくれていたよ

悔いのないようにと
あなたの妹は
あなたの看病を
頑張っていたから
とても残念です
どうしても
悔いは残ってしまう
ものなのですね
彼女が見つけた
あの薬で
もう少しであなたの癌は
治りそうだったのに…
もうどんな薬も
飲みたくなかったのかも
しれないね

まだ
聞いてみたい事があった
まだまだ
話し足りない事があった
でも
最後に
石で打ち付けられた
釘の音で
それも
閉じられてしまったよ

弟さんは
姉の人生は
とても一言では
いい表せないものだと
言葉につまって
挨拶していたね
本当に
お疲れ様でした

そして
あなたの
お姉さんは
泣きながらも
言っていたね
ありがとう
おめでとうって
僕もそれに賛成だよ

ただ
年老いた両親を
泣かせて
先に行ってしまった
あなたは
バカヤロウだと
一言だけ
言わせて下さいね

あなたが
大好きだった息子は
農業者になり
一回りも立派になって
真の意味で
国民の命を守っている
誇らしいよね

あなたが旅立った
あの夜
僕達に3回も
光を見せてくれたね
あなたは
宇宙に
帰っていったのだと
確信したよ
次はひょっとして
四十九日が済んだらかな
そう言っていたら
また光で
現れてくれたね
しかも
あなたのご先祖様の
お墓のすぐ近くだったね
妹の
心の叫びは
あなたに届きましたか?

お義姉さん
あなたの妹は
心優しくて
とっても泣き虫だから
できればでいいから
時々は
また僕達に
光を見せて下さいね

立ち上がる事も
出来なくなってきた時
あなたの好きな
アイスクリームを買ってきたら
全身全霊で起きる
そう言って
布団から出てきたね

食いしん坊だった
お義姉さん…

食べられなくなると
たくさん
食べられていた頃が
とても
有り難く思えるよ

(Sちゃんへ)
















2015/01/14(水) 12:54:31 |URL|I #- [EDIT]
Iさん  Sちゃんと2人で コンビニの前でアイスクリームを食べてる姿を思い浮かべたら  何と言ってよいやら、、、、きっと目立っていたでしょうね~~!
仲良し家族と見られてたかも、、、

Sちゃんが あんなにいい顔で旅立つことが出来たのは 実際 Iさんちで まるで 家族のように暮らせたからだと 思ってます、
ありがとう!!

U病院から移って 普通の環境で暮らせて どんなにか、心が和んだろうね、、、

お陰さま!ありがとう!

故人の話をするのは供養になるというから
また今度お邪魔したら エピソード聴かせてくださいね。
ほんとに、 ありがとう!

2014/12/28(日) 21:05:48 |URL| #- [EDIT]
思えば、夏に、Sちゃんのお見舞いの帰り道の高速道路で、至近距離でUFOを夫婦で見た時から、Sちゃんは宇宙に帰る事を決めていたのかもしれません。
彼女が逝った日の夜中、布団の中でTちゃんが泣きながら、Sちゃん幽霊でもいいから出てきてよ、て言ってたら間もなくして、窓の外に光が移動して行くのが視界に入ってきて、あっSちゃんだ、って感じで二人でベランダに出て、西から東へ音も点滅もなく飛んでいく光を見ていました。
その後、また布団にもぐり込んで、医師の矢作なおきさんが書いた『人は死なない』という本を話題にしてたら、また窓の外の光が視界に入ってきて、あっまた来た、って感じで今度は南から北へ飛んで行きました。
この次は四十九日の後かもよ、なんて言ってたら、やっぱり…。それもご先祖様のお墓のすぐ近くで。
告別式も四十九日も、本当ものすごい晴れでしたね。
Sちゃんはきっと晴れ晴れとした気持ちで宇宙へ帰っていったのだと感じたし、確信しました。
それから人は死なないし、宇宙は計りしれない無限の世界である事も、また地球は宇宙時代へ向かっている事も確信しました。
Sちゃんのメッセージだと思っています。
Sちゃんはとてもさっぱりしていた人で、私が怒鳴ってしまった事を謝ると、いいんだよケンカはその時だけ、と許してくれました。
Sちゃんには貴重な体験をさせて頂きました。コンビニの前で二人してアイスクリームを食べていましたが、大人のように見えて、実は5歳ぐらいの子供二人だったのででした。
Sちゃん、ありが十ございます。おめで十ございます。
洋子様。これからもよろしくお願いします。



2014/12/28(日) 11:28:41 |URL|I #- [EDIT]
高木さんありがとう! 早くにお父さんお母さんおばあ様を亡くされてたんですね、、いつも明るくてそんな様子微塵も感じなかった、、私には身近な身内の死は今回が初めて、、(祖母は101歳で亡くなってるから番外)小さい頃から親しく話せるお坊さんが居るって事は それはラッキーですね!!空は一文字でしたがお経みたいな長いのもあって、私には全くちんぷんかんぷん、、でも妹はわかってかいてたんでしょうね~話すととても知識のある人でした。最後は他力本願って言ってたから わかってたんでしょうね~、書くことで私も少しづつ消化できてるみたいです、高木さんいつも心遣いをありがとう!!

2014/12/27(土) 20:17:50 |URL| #- [EDIT]
・・・そうだったんですか。
妹さんが天国に召されたのですね。淋しいですね。
私も6歳で父を13歳で祖母を45歳で母を・・
肉親との別離程辛いものはありません。
でも 今日も明日も大切に思い生きています。
人間 みんなそうやって生きているんじゃあないかな
きっと。
そうしている間に また楽しいことにも沢山出会えるんだと思います。
妹さん 書道展のタイトルが【空】だったのですね。そして 今【空】に帰られた。
仏教では 空の立場を徹底した処に最大の目的である
【涅槃寂静の新境地があると 小さい頃から親しいお坊さんに 繰り返し聞かされました。
チンプンカンプンでしたが この頃少し分かってきた気がしています。
心を【空】に出来れば 色々な苦しみどころか な~にも苛まされないで済むと言うこと・・?
でもそんな心理に成れるのは ヤッパリ空に戻ってからなのかな?
妹さんは無意識に そんな事はとっくに解っていたのかも 知れませんよ。

スミマセン。
洋子さんのブログ大好きだから こんな変な事を書いてしまいました。
色々考えさせて下さってありがとう。
そして そして妹さんのご冥福を心からお祈りいたします。
2014/12/27(土) 18:12:56 |URL|高木京子 #- [EDIT]

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