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木版画/手シリーズ№2「みんなここで生きている」 / 地球・人・自然シリーズ№9「発」

10-22,2011

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木版画 「みんなここで生きている」 2002 (28×20㎝)




 み~~~~んな ここで生きてるんだよね~


いつからか 「縄文村」をつくりたいと思うようになっていた


頭の中の話・・・


始めから 何故か 「縄文村」と名付けて夢想していた

未来の 理想の 村・・・(町ならまだしも 街では 大きすぎる気がするから 村が良さそうだ ) 

縄文といっても 退化したわけじゃない

文化は今以上に進化して 

全てのものは 本来 みんなのものだから 所有 しなくていいし

だから お金はいらないし

みんな 其々 好きな事が違うだろうから お互い好きな事をしてても

尊重しあっているからうまくいく

何かあったら助け合えばいい

そんなほどほどの規模の村が あちこちにあって 村どおし交流したり 助け合ったり・・・


妹に話したら 即座に却下された

「 無理無理!!!そんなの無理! 人類が今のレベルじゃ 無理~~~!!!」


でも いつかは きっと出来るんじゃないかなぁ・・・・ 


イメージの元になるのは 自分が子供の頃の 田んぼや 畑や 里山での 農家の暮らしと

http://kiborikko.blog94.fc2.com/category3-3.html

それから もうひとつ

子育ての大半を過ごした 杉並区方南町にあった 職人長屋での暮らし



長女がまだ幼い頃  3~4歳くらいだったろうか

朝 気がつくと  お隣さんで ご飯を食べていた

いつの間に お隣へ入り込んだやら・・・?!?


「いいのよ~~~何にもないけど 納豆ご飯食べてるから~~~」

「あれぇ~~~ありがとうございます~~~」


まさに江戸時代さながらの 職人長屋だったから 

「隣は何をする人ぞ」どころか 大きい声ならみんな聞こえてしまう 昔ながらのオンボロ長屋で

二軒長屋が 四棟 前後に建っていた


中庭には 井戸が健在で 「ガチャコン ガチャコン・・」

ポンプで水を汲んだ


飲み水は 水道だったが 

水撒きや 特に夏場は 子供達の水遊びの格好の場所になった


ゴムプールに 思いっきり ガチャコンガチャコン 水を汲んで

近所じゅうの子供らが集まって ワイワイキャーキャー、、、

女の子も 男の子も ちいちゃい子は すっぽんぽん

大きくなったら 水着

お母さんたちは 日陰で 井戸端お喋り、、、


公園で一緒に遊んだりもしたが ご近所どおし 行ったり来たり

それに 私が忙しいとき等 我が家のお婆ちゃんは 若いお母さんたちに混じって子守り

まさに 老若男女 老いも若きも 子供達のまわりにいて

今から思えば いい環境だった!!!


誰かの目があり 誰かの手があり 

知らず知らずの内に 子供達は守られ 育ってくれた 

長屋を出てから そんなことに 気がついた!


友人たちが 初めて長屋に来ると 珍しがった

「ここは どこ・・・?・・・」

「ここは 何時代・・・?・・・」


まるで  江戸時代の長屋へ タイムスリップ したみたいな気分になるらしかった


当時を知る人たちは 

「あそこはよかったよね~~~」と言ってくれる


家のお爺ちゃんは大工さんだったし お隣は 左官屋さん 反対隣は精密機械の部品屋さんだったから

私が 鑿の音をたてても 誰も文句言う人などいなかった

(さすがに チェンソーは遠慮したけれど 、、)



今、そこには 立派な車庫付き3階建て住宅が何軒も建ってしまっているが

ここに越してきた頃 長男は また あそこに戻りたいと言ったほどだ

長女は 「どうして お家はボロなの?」と聞いてきた事があったが

子育ての環境としたら 本当にありがたくて

長男はそこらあたりが 好きで 戻りたいと言ったのだろう


今更だけれど 自分も あそこだったからこそ

 子育てしながら 細々とでも 彫り続けてこられたんだと思う


長屋のみんなとご近所さんのお陰・・・


引っ越してから気がついたことだった!


越してきたところは 畑の中の住宅地

空と緑がいっぱいで やっぱり 田舎育ちには落ち着くとこだ


ご近所さんたちは 農地を借りて 色んな野菜を作っている

ときどき お裾分けを貰う

ジャガイモ、きゅうり、大根、ゴーヤ、e.t.c

味も形もけっこう立派だ


大根の収穫時期になると 庭に 数本 大根がころがっている

隣の畑のお百姓さんが 投げ入れといてくれた大根だ

まるで 笠地蔵の話を思い出す

ありがたいお裾分け・・・味噌汁にしたり 煮物にしたり 漬物にしたり、、、

主人が忙しい

(主人は 今や 我が家の主夫である ありがたい。)





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木版画 「発」 1999 (52×28㎝)




孫が生まれたから 早く 一緒に 遊びたいなぁ~~~と思ってワクワク楽しみにしている


何処で、、、?


ディズニーランドより むしろ 山や 川や 野原がいいなぁ~~~


我が子たちとは よく遊び歩いた

小さい背中にリュックサックを背負わせて

(自分の荷物は自分で持つべし~な~んて言って、、)

あちこち 梯子で泊まり歩いたりして そこで 長女が熱出したこともあったっけ・・・

ガスも 水道も 無い あるのは 裸電球のみ・・・山の上のそんな村にも泊まったりして

かまどで炊いたご飯はおいしかった


海に山に川にキャンプにスキーに茸狩り・・・


長女は 一時期 イルカに興味を持って お陰で私までダイビング!

バンドウイルカの群れの中に船からドボンしたときは 息するのに必死であそぶどころじゃなかったり


スキー場では長男が救急隊のお世話になったり


長男には 「大きくなったら ママとマイケルジャクソン踊ろうね~」

と言ってきたけれど サッカーと ラグビーだった

応援に行くと 私はうるさいから 来なくてもいいとか言われたり、、、



そんなこんな いっぱい遊んだお陰かなぁ~~~

無事に巣立って行っちゃった


今度は 孫と遊んでもらお~~~~と思っている
(孫 生後約2ヶ月 待ち遠しい)

婆と遊んでくれるかな~?



 作品だけでなく 言葉にもしなきゃ・・・と思って書いたら

期せずして てんつくまんさんの記事にもあった!!!

JAPANヴィレッジ!!

http://ameblo.jp/tentsuku-man/entry-11045107810.html
実現は 近いかな~



作品通し番号56・57


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木彫/仏像シリーズ/№1合掌仏(開雲寺蔵)

10-09,2011






先日の記事 「お腹ん中のテレビ」 に出てきたのは この木彫仏



開雲寺仏像
木彫 「合掌仏」 1986年 約160cm (榎・エノキ)





でも今は 

全身 金箔に覆われているはず・・・!!!


今年に入って 突然 石屋さんから電話があった、

25年ぶりだった。

この木彫仏に 金箔を貼ってもいいか・・・? とのこと・・・


そもそも この木は お寺の墓地に生えていた榎の木で、

墓石移動に伴い整理されたが 

いつの日か 形にして お寺に納めたいと 石屋さんがとっておいたものだそうな、、



何年 石屋さんの作業場に寝かせられていたものか分からないが、

この木と対面した時は 相当 痛んでいて 

素手でも ボロボロとくずれた。

そういうところは 全部削り取って 

残った木の形に添って 彫ったから

自ずと 左右対称にならずに済んで かえって良かったかもしれない・・・



もう自分の手を離れて お寺さんのものだし、、

木の痛みを防ぐには 金箔も 効果的かもしれないし、、

どうぞそちらの計画で、、と言った。




すでに変身しているらしい!!

まだ 見ていない・・・





 

開雲寺仏
木彫 「合掌仏」 1986年 約160㎝ (榎・エノキ)





石屋さんから 依頼の話があった時はまだ 

そのお寺の 檀家総代が 母の妹の家だとは知らなかった。


先日 その家の葬儀の折に

母は 金に変身した姿を見てきたと言う。


木彫の味わいが消えてしまってるのではないか・・・・

と心配していたが 

大丈夫だったとのこと、、

少し ほっとしている。。。


そのうち 

変身した姿に

会いに行こうと思っている。。。









作品通し番号55
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ちょっと寄り道・・・「お腹ん中のテレビ」・・・

10-02,2011





息子が5~6歳位の時だったろうか、、


何かの拍子に 私が彫った 仏像の写真を見て 突然言い出したことがあった


「あっ、 ボク それ 知ってるよ!」


「・・・・?・・・(そんな筈 ないのだが~~~)」


「トモさんは  ママのお腹ん中だったから 知らないんだけどな~~~」


「ママのお腹ん中にはね テレビがあってね それで ボクは見てたんだよ!」


「ふ~~~~~~・・・・ん・・・(私のお腹にテレビ・・・!?!・・・)」


「3人 おじいさんも いたよ!」


「・・・・・!?!・・・・・(ママは 1人で彫ってたんだけどなぁ・・・・)」


「ふ~~~~~NN、、  どんな おじいさん?、、」


「こ~~~~んな おじいさん! こ~~~~んなおじいさん!」


と言いながら  その 仕草が おかしかった!


まゆ毛が立っていたり  ヒゲが長かったり  杖ついたりと 手ぶり身ぶり おどけて 見せてくれた。


(・・・そ~~~んな 長いまゆ毛や ひげの人、、、いるかぁ~~~・・・?)



当時 私は 出っ張ったお腹を抱えて 仏像を彫っていた


等身より少し小さいものだったから 


抱えて 床に寝かせたり 起こしたりするのに 


その 出っ張り具合は 丁度良かった



産まれて来る前に 仕上げなくっちゃ~~~!!!



と、出っ張ったお腹も これ幸いと 道具のように使っていたのだ!


赤ちゃんには さぞかし 窮屈だったことだろう・・・・


「トモさん ムギュ~~~ってなんなかった?」


「うん お顔がね こ~~~~~んなになったよ!」


ヒョットコ のような顔を真似して おどけて 踊って見せてくれた


こどもの頃は 思えば ひょうきん者だったんだなぁ~


絵も上手だった


「トモさん そのおじいさん 描いてくれる?」


「うん いいよ!」


その時描いてくれたのが この絵




蜿、讌ス蝎ィ+849_convert_20111002055922[1]



(破れてテープで貼ったりして 今じゃ そこは茶色になってるけど、、、)



「トモさん まわりのこのクルクルは なぁに?」


「光ってるの~~~」


なるほど~~~~・・・




1986年 仏像は 彼が生まれてくる前に 無事彫り終えて お寺へ納めました。



息子の頭も ヒョットコみたいにならずに育って

一昨年 巣立って行きました。

(ちょっと 頭のサイズが 普通より 大きいみたいですが~~~)










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