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木版画さし絵シリーズ№1「のりうつぎ(葉)」№2「のりうつぎ(花)」

07-27,2011


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木版画 「のりうつぎ(葉)」 2007 (40.5×30㎝)







還暦過ぎて書き始めた 恩師の小説


タイトル「のりうつぎ」
 

春先  中位の木に 房状の真っ白い花をたくさんつける


その「のりうつぎ」を本の表紙にしたいと 恩師から依頼があった時は 


どんな木なのか 田舎育ちの私も知らなかった


季節を待って対面したのりうつぎは  子供の頃 名も知らず目にしていたそれだった


思わず目を見開いてしまう ハッとする白さだった










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木版画 「のりうつぎ(花)」 2007 (40×30㎝)







本になった 「のりうつぎ」 神山奉子著  下野新聞社


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著者は宇都宮市在住の元高校教諭。

同作品で2006年、「宇都宮市民芸術祭」の「芸術祭賞」を受賞している。

龍笛を吹く邦生と画家を志す茜は東京で出会い、愛し合う。

結婚して茜の出身地、栃木市に住む2人の間には、笛子と笙子という娘が生まれた。

物静かな笛子と天真爛漫な笙子。

やがて笛子は父親に笛の手ほどきを受け、穏やかで優しい演奏をするようになる。

父親を慕い崇拝していた笛子。

だが、15歳の夏 一家で訪れた海での出来事以来 笛子は父親と口をきかず演奏も変わった。

だが 笛子が思いもよらないところで、 父も母も苦しんでいた。

お互いを愛するがゆえに苦しむ家族像を丁寧に描き込んだ力作。

(下野新聞社の書評より引用)








通し番号40・41
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木版画/遊びシリーズ№1「露ころころ」

07-21,2011






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木版画 「露ころころ」 1999 (30×21㎝)







母屋の西に 道を挟んで 隠居所があった



そこには 婆ちゃんのさらに上の年寄り婆ちゃんと 

その息子の 障害者のあんちゃん(と呼んでいた)が住んでいたから

子供の頃は 何かと 母屋と隠居所の間を 行ったり来たり、、、



その間の裏の畑が芋畑で そこを通るたんびに 

つい葉っぱを揺らしては 水滴を転がして遊んだ



加減しないと みんな こぼれてしまうから 微妙に調節する、、、 

ころころ・・・・ころころ・・・・

ころころ・・・・ころころ・・・・



水の粒が み~~んな  輝いていた、、、



時には 指の先で 小さい粒粒をだんだんにくっつけて 大きくしたり

時には 思いっきり揺らして 全部こぼしたり、、、



大きい芋っぱは 子供の背丈を越えて大きかったから

傘のようにして遊んだりもした



そういえば あの水の粒さんたちは どこからきたのだろう、、、?

と調べたら・・・



葉っぱから 滲み出した水だそうな、、、!!!



この芋っぱの水を集めて 墨をすり お習字を書くと うまくなる

とは 昔からの言い伝え、、、



妹や弟は書道が得意だったから この水で書を書いたそうな、、



大地から吸い上げられて滲み出した水なら きっとその水の結晶も美しいに違いない

美しい結晶の水を入れた墨で書いたなら

書がうまくなる と言われてきたのも  わかる気がする、、、



今 欲しいもののひとつに 「矢立」があるのだが 

手に入れた暁には 是非 この芋っぱさんの水を矢立に入れて

書ならぬ 裸婦のクロッキーを 描いてみようと思うのだ、、、











写真通し番号39

木版画/手シリーズ№1「星になる」

07-19,2011

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木版画 「星になる」 1993 (80×60㎝)






                
                  狭き門より入りて 星になれ・・・







                    地球さん ごめんなさい・・・ 



                    地球さん ありがとう・・・









                   「九条美術展」に出品予定
  
                  九条美術の会ホームーページ             

                       九条美術展



                   2011/7/26(火)~31(日)
                     10:00~17:30 (入場無料)
                       埼玉県立美術館




    7月30日・・・ 無言館館主 窪島さん講演   &   立川叔男さん古楽器演奏


                    ●古楽器演奏と講演会
                  7月30日(土)1:30開場 1:45開会
                       美術館講堂にて
                   
                    ◆古楽器演奏 立川叔男氏
                    ◆講演 窪島誠一郎氏(信濃デッサン館・無言館 館主)
                     「無言館」のこと
                      -戦没画学生の絵が伝えるものー
                    


立川叔男さんのこと・・・河野秀海さんのアロマプラーナ整体「森の海」オフィシャルサイトより

http://shukai.seesaa.net/pages/user/iphone/article?article_id=202748584






関連記事

ちょっと寄り道編・・・その3・・・なぜ彫刻か?(そのわけ②こぼとけ三体)

07-14,2011






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「こぼとけ三体」年代?






自分でも忘れていた

ある時 母が 仏壇の奥から出して見せてくれた こけしみたいな こぼとけ三つ


「洋は わら屋根の昔の家 建て替えん時 こんなの彫ったんだど、、、」

「え~~~っ! そんなんあったんだ~~~っ!」


今の瓦屋根の実家は 農閑期に大工だった父が 地元の棟梁と建てた家で、その頃は何ヶ月も大工さんたちが通ってきた

冬場は 仕事始めや お茶の時間には 半分に切ったドラム缶で廃材を燃やし 手をかざしていた大工さんたち、、

一番年嵩の棟梁は 目分量で 寸法の違いを指摘した

身のこなしは 若いもんにも負けず きびきびしていた

庭には 材木が積まれ 当時80過ぎても元気だった私の曾祖母は 丸太の皮を鎌で剥いて手伝ったりしていたから

私も木っ端を拾って 父の道具でも借りて たまたま彫ったのだろう、、、

杉材で もう何十年も経っているから 写真のように飴色で良い色になってて

形は稚拙だが ちょうど年輪がそれらしい表情をこさえてくれて いいあんばいだ


その後 前回書いたように大学に落ちて 彫刻浪人が始まったわけだが

一年浪人して母に電話した


「お母ちゃん どうも彫刻では食べていけないみたいだから 来年 デザインか工芸受けなおすよ・・・」
 

一年間 都会で浪人するうちには いろんな情報が入ってきた

彫刻で自立するのは 大分難しいということも、、、


「なに バカなこと言ってんだ!一年間勉強してきたんだから 受けるだけ受けろ! 親への礼儀だ! 」

「でももう 願書〆切過ぎたよ、、、」

「試験はまだだんびゃ!! 今っから Y先生んとこ行って 願書送っから 受けろ!!」


母はオートバイをすっ飛ばして高校へ行った

私が往復3時間 自転車で通った道を 母はオートバイで ブイブイ飛ばしたらしい、、、


Y先生は 事情を聞くと 時間が無いからと言って 直接大学へ願書を送ってくれた


かくして「受けるだけ 受けっから、、、」 と言って受けた彫刻科に合格し

デザインも工芸も その後受けなおすことはなかった


N先生が もし「宇賀地 彫刻受けろ、、、」と言わなかったら、、、

母が「ナニバカなことを、、、」と言わなかったら、、、

Y先生が すぐ願書書いて直接送ってくれなかったら、、、


今の私はいない



しかし これら全ての前に 「こぼとけ三体」はもうあったのだ!


このことを知るのは 大分後になってからだった

仏壇の奥から母が出して見せてくれたのは そう遠くない数年前、、、

今思えば 母の目に 私が自信をなくしていると映ったころだった気がする











写真通し番号37
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ちょっと寄り道編・・・その2・・・なぜ彫刻か?(そのわけ①油絵「妹」)

07-10,2011




油絵「妹」
油絵「妹」1970





高3の時 美術クラブで 8歳下の妹を描いた

受験前に描いた たった一枚の油絵・・・

後にも先にもコレ一枚・・・

この妹の絵が 私を 彫刻の道へ進ませることになった・・・

と私は思っている





高校の3年間 美術クラブに所属した

平日の放課後はもちろん 

夏休みも 冬休みもなく  ほとんど美術の教室に入り浸って

ひたすら 石膏デッサンに明け暮れていた

明るいうちの帰宅は稀だったし 女子高だったから 

文房具店以外のお店に入ることも無く ほとんど同じ日々、、、 

変化したのは 受験直前 木炭デッサンから 鉛筆デッサンに変わったことぐらい

よく飽きずにデッサンしていたなぁ・・・



当時 自転車通学で往復3時間  小さい山を3つ越えて通った

2年生からは 母の実家に居候して 往復2時間に短縮になった


当時は砂利道だったから 鬼怒川の砂利採掘ダンプカーが 砂埃をたてて通り過ぎると

セーラー服は 埃をかぶって うっすら白くなるし、、

雨で合羽を着ると プリーツスカートのひだは ゴワゴワ、、

寒いとまつ毛が吐く息で凍った、、


バスや電車もあったが自転車が気持ちよかった


自転車すれすれにダンプが通ると 風圧で吸い寄せられて 危なかったりしたが 

たまに早く帰ると 鬼怒川橋から見える富士山の夕焼けシルエットは黒く美しいラインだったし

360度視界の空に真綿雲はゆうゆう 泳いでいたし 

時に ひよこと親鶏の行列雲は 大空をまたいで圧巻だったり

口笛吹いたりしながら 楽しい自転車通学だった




たまに実家に帰ると小学生の妹の笑顔が まぶしかったのだろう、、、

初めての油絵が よりによって 大口開いて 白い歯を見せて笑う妹の顔、、、!!!

我ながら 何でコレを描いたのか 不思議だ、、



コレを描いてまもなく 

美術クラブ顧問の N先生が言った



「宇賀地 お前 彫刻 受けろ、、」

「えーーーっ、、 先生 私 彫刻っていっても  何にも 作ってないよ!、、」

「うん、 これ 作れ、、」

先生の差し出した掌には まっ黄色のレモンが 一個・・・ 



かくして 油粘土で レモン一個作って受けた受験は 不合格・・・

そのまんま 彫刻科を選択して 浪人が始まった




「先生!  何故あん時  先生は 彫刻受けろ・・・って言ったんですか・・・???」


後年思った疑問を 直接N先生にぶつける機会もないまんま N先生は逝ってしまわれた



で 単純に想像だが、、、


当時 受験合格ラインの油絵というと 

レンブラント風の 光と影の じっくり描き込まれた絵、、、が 主流だったように思う


ところが私のは  正反対、、、


N先生は 私は油絵には向いてないと判断、、

レモン一個となったのだろう、、



と、 後年 勝手に 思っている自分なのだが はたして N先生の本意やいかに・・・・??? 









通し番号36
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